鳴海絞について
鳴海絞は、長い年月この地方の中心的役割を果たして来たこの地に生まれ、今日まで育まれてきました。
その始まりについては諸説さまざまだが、大正十四年発行の絞りに関する調査書が国立図書館に蔵されていて抜粋すると【口碑の伝ふるところによると、数百年前豊後の人三浦玄忠、東下りの劯鳴海の駅路に病臥し寄辺なき身の困難なる有様を見たる里人が、看護に力を盡したのを徳とし、その労に酬る為、絞染の方法を伝授しまったと云ふ】と有り昭和9年9月13日に鳴海絞商組合により三浦玄忠さんの開祖の碑を建て毎年9月13日に写真のように慰霊祭を執り行って居ます。
絞りは人の手間を必要とする仕事であり、有松、大高、三州、知多を含めた広い地域の関わりの中で、絞り産地が形成され、世界の中でも類まれなる程発展しました。特に命じ、大正期は絞りの技術が最も研究され、世界の七割位の加工技術がこの町で生まれ、一大産地を形成しました。しかし、それも時の流れと共に著しく変わり、販売が主流になり今日に至っています。
絞りの街・鳴海
名古屋市緑区は、名古屋市の東南部に位置しています。最近中川区を抜き、名古屋市の区の中で最も人口の多い区となりした。伝統工芸の「鳴海絞」(なるみしぼり)が有名で、鳴海町、大高町、有松町が古くからある主な町です。
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