新着情報

太平洋東北地方大地震のお見舞いを申し上げます。

3月11日(金)に発生しました三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖の地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また被災された皆様やそのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

鳴海の祭りに山車9両が勢揃いし提灯に火は灯ります。

10月10日鳴海八幡宮例大祭により今年は数年に1度の鳴海八幡宮まで山車をひいて行く年です。そして夕方には本町交差点あたりに表方、裏方あわせて9輌の山車がそろい提灯に火を灯します。その光景は幻想的で鮮やかです。是非みなさんお祭りを見に来てください。

また名古屋市の山車の歴史は太字の愛知県をクリックしページの下の方に鳴海の山車や有松の山車の歴史も有りますので愛知県もクリックしてご覧ください。

毎年11月に宿場祭りを行う予定でその予告ですが鳴海宿場祭りにて鳴海絞商工協同組合により来町者に絞り教室と称して無料にてにその場で染まで行い絞り体験をして頂き絞りのおもしろさ等々を体感して頂ける絞り体験教室の場を設ける所存であります。
道具は針や糸を使わなくとも簡単に小さなお子様でも出来る物でやってますが当日には4.5人位の伝統工芸士さんによる実演も行いますので工芸士の職人さんにご自分の手持ちのハンカチを無料で絞ってもらっている人も有りますが後は伝統工芸士さんとの交渉次第と思いますが当方では管理してません。
無料なので数に限りも有りますのでお早めに当日はご来町ください。

今年も鳴海絞商工協同組合により三浦玄忠氏の慰霊祭を執り行いました。

平成22年9月13日午前10時より成海神社の宮司さんにより、鳴海絞(三浦絞り)を伝承した三浦玄忠氏の慰霊祭を鳴海絞組合員と共に執り行いました。

写真のように海の幸、山の幸、お神酒等々祭壇に掲げられ大よそ45分で無事終了し最後に理事長が心の中での事と思いますが三浦玄忠氏と色々お話をされた事が報告されましたが、いずれにせよ当産地も後継者等々かなり減少して絞りを生産する事も難しくなって来ましたが、三浦玄忠さんの返事は自分ひとりででも絞りは出来るではないか。
と言われたそうで絞る人が居ないので絞りが生産できないとか売れないとか言わずにもっと努力さえすれば道は開ける。と言うような事を挨拶とされ無事終了いたしました。

絞りが機械で出来る時代。

当鳴海絞組合の理事長でも有る近清商店さん他の方により絞近代的に機械で出来る時代も本当に来るかもしれませんね。
絞りを機械で括れたら効率よい仕事が出来る事は昔から考えられて居ますが、現在では蜘蛛絞りと呼ばれる絞りは数十年前から行われて居ますが、現実に絞りを機械で行う事は、その柄の模様や機械のお値段等々により製品化するかしないかには違いが有ります。

私事ですが、私の親父も50年ほど前に同じ名古屋市南区に有る大学と組んで、その当時はペンシルキャップの様な物に生地をいれ、機械で絞り加工を行った絞りを制作したそうですが、作っただけで終わってしまって今は当時の事も余り覚えていないそうなので、「今回は製品化して実用的な絞りが出来る事を願って居ます。」との事でした。
機械で有ってもプリントのように同じ柄は出来ないので、私も出来る事を願って居りますのでがんばってください。

鳴海絞組合の研修旅行の報告

3月27日に今回の目的地、愛知県吉良に行く途中に西尾市にあるお茶の松鶴園さんに行き工場を見学させて頂きました。
そこは国道247号沿いに面したお店のすぐ裏手にお茶畑に隣接した所に有り工場の中に入ると、なにやら逆三角錐の器の下が、くるくると回っている物が有り、

それは同じ西尾で加工した石臼が何台も回転して居る工場で、お抹茶を引いているとの事で通常の石臼では細かくお茶の葉を引けないそうで、わざわざ地元の石材店で作らせたようで、それが西尾でも有名なお茶屋さんと言う事だと思い店の中に入ってみると、そこには単なるお茶だけを販売しているのではなく店内に甘味とお茶の喫茶店に大勢のお客さんが居たので、なるほど?と言う感じでした。そして2階に上がると美術館のような広間で抹茶をご馳走になりました。ただお茶を販売するだけではお客や呼べ無いと言う事が大変勉強に成ったと思います。

そちらを出た後は本日のお宿の三河湾リゾートリンクスでその日を終えました。
翌28日は朝から『人生劇場』を連載した尾崎士郎記念館に入りパンフレット等々を頂きその中に尾崎士郎が語る人生観から私が個人的に印象に残ったのは『人間の存在を決定するものは人間そのものでなく人間関係であります』また『去る日は楽しく来る日もまた楽し』や『おれは おれだ おれあるのみ』と言った具合に、う??んとか深い良い話?が入り混じった様な言葉が多く有るようでした。
その資料館の隣には旧糟谷邸が有り入るや否や写真のように、三河木綿の江戸送りの総問屋の証で有ったかのような綿の実がお出迎えしてくれました。

またその綿の反対側には綿を届けた後に今度は干鰯ホシカ(肥料)等を運んで商売とした肥料販売所があり半天には糟谷肥料部という文字もあり一石二鳥の商売で儲けた事がよく分かりました。
その後、綿祖神 天竹神社に行きました。写真は鳥居の裏等々に全国の有名繊維問屋さんの名前が数多く書かれているので、私たち以外ではかなり有名な綿の神様であった事が伺われます。

この神社に由緒が写真のように有り1200年昔にフイリピン人が綿を教えたと有る様にこの地綿が日本中に広まったと思われ、また三河木綿が有ったからこそ鳴海、有松地区で絞り産業が栄えた事が分かり有意義な研修旅行でありました。
またその後がこれでお勉強も終わりと思ってましたが一色さかな広場でお土産を買った後、昼食に寄った後一色町役場の大ちょうちんを見たりまた何故か、きみがよに出てくる『さざれ石』が有ったので写真に撮って来ましたのでご覧ください。

また最後に寄った三水亭では大変広大な敷地内に大きな人工の滝が流れていて、其処には大勢のお客さんが順番待ちをしている有様を見て、商売とは知恵を絞ればいくらでもやり方はあるのだなあ?と言うことが良く分かる今回の旅行でした。

鳴海絞組合の研修旅行は三河国天竹神社等々に決定

毎年3月末には研修旅行に出かけていますが今回は鳴海絞詩にも出てくる天竹神社にも訪れる予定なので新たな発見が有りましたら又ご報告させて頂きます。

あなたも染屋さんに成りませんか??

現在鳴海有松地区では後継者不足が深刻な状況に成って居ます。
先日も染屋さんから電話があり、交通事故をした事がきっかけでこれ以上染屋を続けていても仕事は忘れた頃にしか来ないし一宮と言う所から電車で緑区まで通っていますが定期券代も出ないのでそろそろ俺も歳だし辞めようかと思っている。
と言う事が有ったのでそれでは困るので何とかなら無いか!!
と色々話し合っていましたが当方の都合ばかり言っていても何の救いにも成らないのでどのようにしたら良いか等々色々その染屋さんと話し合っていましたが絞り染の仕事は0ではないが此れで飯を喰おうとすると赤字に成るので絞り染に興味が有る作家さんのような方が居て喰うに困らないような人でたまには絞りやさんの仕事もするが基本は染屋を一生継続していける人が居れば染技術の伝承も無料でするが家賃は少しでも頂けたら有り難いが誰か居ないだろうか??
と言う事が有り万が一にでもご興味が有る方が居ましたらご連絡をhayakag-i@lion.odn.ne.jp頂ければ幸いです。

有松鳴海絞産地活性化委員会にて「有松鳴海絞」のホームページを作成することになりました。

現在、当産地には愛知県絞工業組合、有松絞商工協同組合、鳴海絞商工協同組合、等々があり一括りに有松鳴海絞りと表されることが多いですがそこに携わる(有松鳴海絞の伝統工芸士職人さんも含む)方々の有松鳴海絞りのホームページを作る事と成りましたので2010年早々にはご紹介できると思いますのでご期待ください。

2009年11月3日鳴海宿場祭り

毎年11月に鳴海町旧東海道沿い一帯で鳴海宿場祭りが執り行われ当組合からも絞り職人さんによる実演、また無料?(予定)絞り体験では布切れにご自分で簡単な絞りを施しその場で染色体験や絞り製品の販売を各所にて販売する予定で居ますのでお出掛けください。

大高緑地公園に於いて緑区民祭り2009に鳴海絞組合も出展致します。

みどり・シティ・フェスティバル2009
10月17日(土)に今年度は当鳴海絞商工協同組合が絞り実演と絞りの販売も致す年と成りましたのでご報告させて頂きます。